トップへ  2010話題  2009話題

2008年 話 題

 
 2008.12.23 ジェロのファンクラブ「サークルJ」の記念すべき第一回目のファンの集い。 
 
     
 地下鉄御堂筋線淀屋橋にある朝日生命ビル8F  特に意味はないがそのビルの向かいを撮ってみた。  カメラ、携帯、ビデオ禁止のファンのためにプレゼントされたツーショットと、ジェロの手ぬぐい。
 12番出口から出たらそのビルが目的のビル。時間までエレベーターホールで待たされたのだが、まーそこが狭い!人でびっしり詰まったのではないかと思うぐらい。
こういうところで、火事や地震が起こったら将棋倒しになって圧死するしかないな、などと考えつつ。
そのビルはトイレが一階おきしかない。なんとも不便なビルであった。
思えば席が決まっているんだから開演ぎりぎりでよかったのだが、その淀屋橋まで何分で着くかわからないから。

前置きはともかく本日のMC(司会)は神戸生まれの「ケースケ」。お笑い芸人。真っ赤なベルベットのスーツ。
東京へ行って12年というから、大阪人はほとんど知らなかったが、なかなかおもしろい人であった。

さて、ジェロは上から下まで黒。アンダーキャップは白だったが。
・大きなさいころを転がして、出たお題に従ってのトーク。
「自分の周りの変な人」と「腹が立ったこと」と「旬な話」
「変な人」は東京のディレクターのこと。
「腹が立ったこと」は3月13日だったかな、7件の取材があって食事が取れなかったこと。
「旬な話」はデビュー前に番組で密着取材された芸人「ノンスタイル」がM1グランプリをとったこと。
このノンスタイルとの共演は例のサイトで見ることができるが、その番組が終わるころには仲良くなったという雰囲気がよくわかる。

・次はあらかじめ「質問票」を書いて出しておいたのだが、それをくじ引きのようにジェロが引いて、当たった人が、舞台に上がってジェロにじかに質問。3人。その人たちにはツーショット写真とジェロの衣装のプレゼント。
一人目の質問は「ストレス解消法は?」−「おかあさんい愚痴ったり、カラオケで大きな声で歌う」
二人目は「早口言葉は言えますか?生麦生米生卵など」−三回言ったうち最後だけ引っかかっただけ。
三人目は「いつも胸にかけているキーのペンダントに意味は?」−去年のクリスマスに自分で買った物らしい。

・その後一番のメイン、ミニライブ。
「氷雨」「誰よりも君を愛す」のあと、来年1月28日(だったかな?)に発売になる新曲「えいさ」とそのカップリング曲の「晴れ舞台」。
「えいさ」は一度聞いただけでは絶対に覚えられそうにない難しさ。
どうもかなわぬ恋を歌っているらしいが、マイクの音響が響きすぎてはっきり歌詞がわからーん!!
最後の方は聞こえたが断片的。ごめんよ、ジェロ。

「晴れ舞台」はNHKの今月の歌になっているから例のサイトで聞いてみていたが、その時は滂沱の涙が流れて止まらなかった。きょうも、そんなことになってはいけないと、タオルハンカチを用意。
案の定じわっと来たが、ジェロが先に泣いてくれたから、ぼろぼろ泣かなくて済んだ。
ジェロは「一生この歌を歌うたびに泣くんじゃないかな、でもあまり泣くと、歌えなくなるから」って。
そら泣きますわ、その歌は。よく歌えるなって感心する。

最後に「紅白まであと8日、緊張しているんです」とジェロ。そうすると会場から「がんばってー」の声援。
一番言っちゃーいかん言葉だろうが!と思っていると、ジェロは「がんばってーと言われてもねー」。
そうでしょそうでしょ。「泣いてもいいんだよー」と、通るいい声だったら叫びたかった。
で、「その練習のつもりで『海雪』うたいます」と。
やっぱりいいねー、海雪は。

そして最後はサプライズらしいが、全員との握手会とツーショット写真のプレゼントと手ぬぐいのお土産。
何がサプライズかというと、当初は握手会だけだったらしい。
21日に行われた東京の集いの会で突然行われたことなのだろうか・・・
ある程度予定されたことだったのではないかと思う。
興奮の余り震えが止まらず、倒れそうになった人もいた。

それにしてもお疲れ様、ジェロ☆
200人ぐらいと握手して、笑顔でツーショットの相手をして、えらい目をさせちゃいましたね。
ありがとうございます。

それでお開き。2時間半ぐらいかな?

 そうそう、ちゃんとこの木目込みで作った花菖蒲の剣は渡してきた。こちらが言う前にジェロが裏をひっくり返して文字を読んでくれたから、何も言わないでおいた。さすがに今回はプレゼントを持参した人が多かった。
しかし、どう考えてもああいうところで「花束」を渡す人の気がしれない。
困るだろうな・・
これは一つの経験、私自身へのクリスマスプレゼントかな?
少々疲れるぐらい我慢しなくちゃね。
 
 
 2008.12.6 2008年最後のイベントJPC忘年会
   本年度最後のイベント、JPC忘年会。
毎年、このときのみお弁当を取る。
「お昼でお酒は出しませんから、凝ったおかずはいらないんです。白いご飯をしっかり入れてください。」などと無理を言えるところに注文している。なかなかおいしい。
小食で残す人は持って帰るためのタッパを持参してくださいと申していたが、ほとんどの方がタッパを使うことはなかったのではないか。
どなたか、「大きいタッパを持ってきたのに、食べてしもたなー」とおっしゃるのが聞こえた。
さて、工夫を凝らした名刺はこちら
課題は「自分のロゴを中心にクリスマスの雰囲気を」。
なかなか素晴らしい出来で感心した。
  いつも静子様がやってくださるマジックが楽しみ。今回は静子様のお友達が友情出演。
遠路はるばる来てくださいました。
ミルクを入れた紙の器がに火をつけると消える。
切っても切ってもつながるロープ。
松竹梅のカードマジック。
次々といっぱい出てくる玉手箱。
みんなあっけにとられて眺めた。
静子様の浪曲手品は浪曲に合わせてするのがとても難しいと思う。
なによりも静子様の浪曲に感心した。
ミルクマジック
つながるロープ
玉手箱
浪曲手品
 
 2008.1019
 夕方からの映画鑑賞のために、体調を整えるのに苦労した。なんとか間に合ってよかった。
 久しぶりに「いい映画を見たな」という印象をもった。どういいのかというと、作り手の意図がよくわかるのである。生きることも死ぬことも特別なことではない、普通のことなんだよ、ということ。こういうメッセージは世界に通じるらしくモントリオール世界映画祭グランプリを受賞した。時々何かの受賞作品だからと見に行くとがっかりさせられることがあるが、この作品にがっかりする人はおそらくいないのではないだろうか。今後もこのモントリオールの分には注目していきたいと思う。さて、初めて聞く「納棺師(のうかんし)」という言葉。遺体を愛情こめて最高の芸術品にして送り出す。こういう職業の人の実在を知らないが、もし本当にいるのならぜひお世話になりたいものだと思わせられる映画だった。生きること死ぬことを扱っているのにまったく暗く、重くならず、さりとて軽々しくもならず、気持ちよく見ることができた。  
主役の男優のきりっとした所作には能の舞台を見ているような、茶の湯の世界に浸るような、もしくは昔の武士の所作はこのようなものであったのかも知れぬと思わせられる雰囲気があった。しかしあの正座して、もしくは腰を浮かせての前傾姿勢はすごく腰に負担をかけると思う。確かに腰痛に耐えながら練習したらしい。もう一つはチェロ奏者という設定でもあったから、そちらの練習も大変なものがあったことだろう。主役もさることながら、その納棺師の会社(NKエージェント)の社長役の男優の存在感は半端じゃなかった。まらそれ以外の脇役のうまさ、おそらく切磋琢磨して演技しているのではないかと思いながら楽しませてもらった。印象に残った言葉、
「(フグの白子をさして)これだってご遺体なんだよ」「しぬ気がないなら食わねばならん」「生き物の命をいただいて生きているんだよ」「うまいんだよ。これが。困ったことに」
「(妻に普通の仕事をしてよ、と言われて)普通ってなんだよ。君だって死ぬ。僕だって死ぬ。死ぬことは普通のことじゃないのか」
火葬場の人の言葉「死ぬことは終わりじゃないんですよ。次へ行く門のようなもの。私はその門番なんですよ」
それぞれの人のセリフが心に響く。一言もセリフを発することがなかった主人公の父親役の男優さんにとっては遺作となった。とにかくぜひとも見てほしい映画だ。
 
 2008.10.18      第6回秋のピアノ珍道中発表会
  今日の段取りの悪さはまー・・あきれるほどであった。何人かのメンバーさんが早い目に来てくださった頃にはまだ盛りつけの最中。どんなに助かったことか。理由は分かっている。
フードプロセッサーで玉ねぎのみじん切りができるかと思っていたら、うちにあるものでは 、みじん切りにならず。どんどんおろし玉ねぎになっていったこと。だからやはり包丁でやらないと駄目だなということで、しみる目で切ったこと。
もう一つは焼き飯のような調理は時間がかかることが普段のランチ作りで分かっていたはずなのに、その料理を選択してしまったこと。
同じ味の付いたご飯の場合、チャーハンとお寿司では手間が全く違う。すし飯は14〜15人前なら大きなボールで一気に味が付けられる。しかし、チャーハンとなると一回のフライパンでは4人分ぐらいがせいぜい。しかもIHだからフライパンを持ち上げることができない。どれだけじたばたしたか。豆腐をすりつぶすのにはフードプロセッサーが大いに役に立った。ありがたかった。クッキングパーティでもないのに、お手伝いしていただきありがとうございました。 
  今回はどういうわけか、一部の方々を除いて、みなさん結構悪戦苦闘のようだった。練習期間は6ヶ月間もあったというのに、我ながら信じられなかった。6ヶ月後の春の発表会にはもう少しましな成果であるように努力しよう。
工夫をこらしてくださった「短歌のひととき」や「なぞなその時間」ありがとうございました。

もうひとつ、JPCのイベントの中でもとくにピアノ珍道中では「普段は着られないけれど、捨てることもできない」という衣服を身につける機会でもある。

タンスの中で泣いている者たちを救出するときでもある。
皆様素敵でしたよ。
もっとどしどし着てやりましょう。 
  いつもマジックをしてくださる静子様が本日は風船芸。
みんなにも作るように用意してくださって、わーわー言いながら犬や、小鳥、スワンなど。
「この風船は割れませんから、どうぞ恐れることなくやってください」とおっしゃったすぐあと、どこかから「ぱーん」という音。
その音より、それを聞いて「ぎゃっ」とか「わっ」とかいう声の大きさにびっくり!
その割れる音とそれに驚く大きな声との喧噪の中、要領のいいかたは割らずに上手に作るようになって行かれました。

   
 
 2008.9.27
ついに酒屋になった。つまり野菜や肉魚を下処理する時に使う水に一垂らしする焼酎を売ることができるようになったというわけである
   
 レジに近い販売台を酒用にした。その他醤油、酢、ソース、濃縮つゆ、和風ドレッシングなどすべてSONOKOの品物である。もちろんその焼酎力松もSONOKOのもの。
クリックで、注意事項が大きく見えます。最初上のほうに置こうかと思ったが、やはり地震の国日本においてはそれは危険。一番下にした。
酒類販売管理研修受講証である。これを受けないと許可は下りない。3年に一度の割合で受けるようだ。 
 
 2008.9.20
第5回クッキングパーティ
  焼き豚は3回の予行演習ののち、ようやく、たれにとろみをつけて切って盛りつけた後、そのたれをかけたほうがいいのではないかということがわかった。
ポテトサラダは玉ねぎが多いかなというぐらいであったが、そこそこおいしかった。
急きょ昨日に決定した「きんぴらごぼうの追加」ごぼうを千切りにしてくださった方々にはご苦労をおかけしましたが、おかげさまでおいしく出来上がった。
ケーキも表面がかりっとしてオレンジゼリーとあいまって味わい深かった。ポテトサラダにマヨネーズは要らず、きんぴらに油は要らないということが分かってもらえただろうか。
参加した皆様が安全で身体の喜ぶ料理を作ってくださることがJPCクッキングパーティを開く意義。
「食べること」が「生きること」。どうか身体が安心するような食事をしてほしい。
また来春、元気で集えますように。本日は皆様のおかげでおいしくいただきました。
レシピを作ってくださった両清子様にはお礼申します。 
2008.9.18
野菜や肉や魚の下処理の水にアルコールを少し落とすほうが農薬、ホルモン剤、抗生物質、着色料、発色剤・・・そういう諸々のものが抜けやすいらしい。
だから、そのアルコールとしてSONOKOの焼酎を紹介したい!と思ったのがこの面倒な事の始まり。
酒類販売許可申請の提出書類の分厚い事!顧問税理士さんが主に遣ってくれているからまだ諦めずにおれる。私のする事は平面図を書いたり陳列台を用意したりする事であった。先日税務署の人が2人見に来た。「変わったところで酒を売るのだな」という顔をして、食品を安全なものにするために酒を使うんだという私の話を聞いていた。理解されたのかな?・・・とにかくまあいいでしょうという事になり、後は酒類販売管理の講習会を受けるだけ(つまりその受講証がないと許可が下りない。)という事になった。
その講習会の日が本日であった。
谷町6丁目をうろうろしたのは初めて。駅の近所の薬業会館には2度ほど行ったことがあったが。
まー7番出口の遠い事。階段の多い事。あがったところで膝ががくがく。
そこでまたあっちむいてもこっちむいてもどっちに進んだらいいかわからない。近くの店から出てきた人に訊いて、間違えずにいけた。よくぞ適確に教えてくれた事よ。
定刻の3分前に大阪酒販会館に飛び込んだ。席も決まっていて、3百人ほどいるところの一番前の列の真ん中ほど。
どひゃーと思ったが致し方ない。睡魔と闘う3時間を過ごした後ようやく酒類販売管理研修受講証を手に入れた。
3年ごとに受けねばならないようだ。店名と名前を呼ばれて受け取りに行くが、ほとんどがコンビニなどのチェーン店のようだった。必要最低限のことはもう一度テキストに目を通しておかねばならないだろう。朦朧として聞いていたからほとんど頭にはいっとらん!
つくづく、「やっかいなことことしてるな、私は」と思う。
2008.9.6
今日はジェロのシークレットライブ大阪があった。カバーズのケースに入っていた応募はがきに大阪か東京かに丸をして応募する。つまり大阪と東京でしかシークレットライブは開催しないということなのだ。まさか当選するまいと思っていたので、当選ハガキが到着した時には驚いた。今日の大阪のライブには東は豊橋、西は博多あたりから来ている人がいた。200人ぐらいだったろうか。。東京は何百人収容の会場かは知らないが、300人ぐらいか・・大きな差はあるまい。一万枚以上の中から選ばれたものらしい。
しかし無条件では喜べなかった。知らない所へ一人で行かねばならない。ハガキ一枚につき一人の参加。ビルボードライブ大阪と言うところもしらない。(中央郵便局の筋向いだったが。訊きまくった。)とにかく雰囲気のまったく分らない所に一人で行くというのはとても勇気がいる。それに店を閉めて行かないといけないこともかなり困った。シークレットライブなので、終わるまでは口外しないようにと言うことであったから。
中はというと
こういう感じ。(予想通り撮影禁止だったので、拙い絵で申し訳ない。手前の黒い点々が観客の頭のつもり。)バンドを連れてのライブと言うのは初めてらしい。ジェロやスタッフは喜んでいたが、聴く方は「やかましー!」もっと静かな伴奏で、マイクも使わないようなジェロの声が聴きたいと心から思った。 しかし立たなくても良かった事は助かった。お金を出せば飲み物を飲みながら聴く事が出来る。途中でトイレに行きたくなったら困るから、何ものまなかったが。
だけどこういう演奏のところに長時間居ると難聴になるだろうなきっと。心臓が突き上げられるようなすごい音。
この前の扇町のようにMC(マスターオブコンサート、要するに司会)が居なくて、ジェロがMCも務めた。変に盛り上げようとするMCの声よりずっといい。ピッツバーグへ10日間の里帰りの時、一番嬉しかったのはお母さんが元気だった事。離婚されたのかどうか分らないが(死別ならそう言うだろう)女手一つで4人の子供を育ててくれたらしい。「君恋し」が好きだそうな。そんなお母さんの事を将来日本に呼びたいと言うジェロ。感心したのは母親の日本語としては「おかあさん」しか知らないのかと思っていたら、「母(はは)を日本に呼びたい」と言ったこと。ちゃんと知ってたんだー!さすがやね。ピッツバーグではライブを、しかも、演歌でした!と言う事を嬉しそうに話した。「ピッツバーグでやで!信じられへん!」と、見事な大阪弁のイントネーションで。拍手喝采は言うまでもないこと。カバーズに載っていた全曲と、アンコールで海雪。熱唱してくれた。「歌う事が一番たのしい」という。「いままで、英会話の講師とか、システムエンジニアとかしたけれど楽しいと思ったことがなかった」とのこと。楽しい事、好きなことを生涯の仕事に出来てよかったね、ジェロ。声を、咽を大切にしてほしい。
最後にハガキと交換に握手してお別れ。9月4日が誕生日で、27歳になったジェロ。「なんか27という感じじゃゼンゼンないですね。まだ21歳という感じですよ。」と言っていた。スタッフからは誕生日プレゼントにスーツケースと、録音の器械をもらったらしい。「もっと仕事せぇと言う事なんですね」と。私からはまさか渡せる事になろうとは夢にも思わず作っていたジェロの顔入り壽まりを渡した。座布団はジェロの好きなオレンジ色で作った。手渡す前にチラッとまりを見せたら、笑っていた。「ジェロの方がハンサムですよ」と言っておいた。
3月の扇町公園では冷たく骨を感じる手だったが、今日は温かくて、力強かった。それだけ自信がついてきたと言う事なんだろう。その分骨を感じる事はかなった。ジェロのシークレットライブに行くまではとても億劫だったのだが、行ってよかったと思う。なんだかこちらまで優しくなれる。なんというかジェロのお母さんを思う気持ちがこちらにまで伝染するというか・・。こんな気持ちになれるライブって初めてだ。
2008.8.9
やっと届いた。
ジェロのファンクラブ「サークルJ」の会員カード。最初会費を振り込む振込口座の番号が違うと連絡があり、「ありゃりゃ」と思っていた。その後中々届かず、「大丈夫か?」とおもっていた。一時の旋風が収まり、これからがジェロの実力が問われる時期となるだろう。
ファンの一人としてこれからも温かく見守って行きたいと思う。
2008.8.5
3日の日曜日「崖の上のポニョ」を見てきた。
ポニョは私にとっては、やっぱりなという感じだった。それなりに絵はきれいで楽しいのだろうが、やっぱり独りよがりが、すぎるような気がする。客をおいてけぼりのストーリー。見た後、夫がぼそっと「むつかしかったな」って。それが正直な感想。海が汚く、温暖化で海面が上がる、人工衛星で空も汚れている、そういう警告のような事は従来の作品と同じく観る者に訴えているのだが(もちろん可愛くきれいな絵に包んで)、なんかね、現実的な提案がない。
どうするどうする、地球に未来はないぞ、ばかり言っている様で。
ただ、パンフレットを先に読んでいると違うかも。パンフレットでは、あのでかい海の主みたいなポニョのお母さんの事も、人間をやめたフジモトのことも書いてある。最初いったい何をやっているの?と思っていたフジモトの行動も説明してある。絶対に先に読んでいるほうがいい。
ニモのように可愛い魚を表現する事も出来るのになぜポニョは人面魚みたいなのだろうと疑問に思っていた。それを解明するためにも見たかった。なんとポニョは文字通り「人面魚」だった。宮崎氏の作品に必ず登場する「強い母」は今回も登場。二人も。ところで、その母の言葉遣いがいつも「〜しな!」なのはやはり氏のお母さんがそういう言葉遣いだったからだろう。っていうのが感想です。
ただ、これは言える。地球を、人類を救うのは勇気だよって言いたがっている宮崎氏の姿が遠くの方に見える、と。
炎天下のゴルフのあと「きっと寝てしまうから、寝てたら起こしてな」と言っていた人間が一睡もせずに見終わったということは退屈な映画ではなかったという事を意味する。
2008.8.2
これはブログに載せたものと同じ。
・穴子寿司
・胡瓜と玉葱の粒マスタード和え。(穴子寿司と混ぜてサラダちらしにすると美味しい)
・ローストビーフ
・ワカメ(ローストビーフのソース味で)
・デザートはメロンとパイン
ティータイムは
・マーブルケーキと抹茶アイス
ほんとうはバニラアイスの方が良かったのだが、残念ながらなかった。
自分で作った句を読みながら、そのときの心情などを話す。
聞きながら食事をする。
うちのイベントはいつもランチタイム。
土曜仕事の方もおられるので、活動が終わるとすぐに職場にもどっていただけるように、食事と同時進行する。
そうすると見ただけでは「食べられるかな?」と多そうに見える料理も知らず知らず完食。
お身体が喜ぶように作っているのですよ☆
風景さまざま。

イベントにはカメラを持参していただいて、後日レイアウトしてホームページに載せたり、メモリアルを作っていただいたりする。

ただ、食べたりのんだりしゃべったりする集いとは一味も二味も違うところ。
食後は短冊つくり。短冊と筆ペンは参加賞。
「これ!」という一句を筆ペンで短冊に書く。余白には挿絵とロゴを描く。
水性の色鉛筆で軽く彩色。
様々な短冊ができて本当に楽しかった。
その後の撮影が大変。一人ずつ持って、撮影するか?と思ったが、一堂に並べて撮影する事に。詳しくは見えないだろうが、雰囲気は感じていただけるだろう。
来年は「川柳珍道中」にいたしましょうか・・・
2008.7.13
店内のクーラー温度を28度に設定している立場としてはうちわは欠かせない。
なんとなく夏になると作りたくなる。
今回は自分の記念の思いを込めて作った。左は、作って見たいと思っていたトゥイーンをつけたムビクリを使ったジグソーパズルと何度も登場のハリーのウエディング風景。今年ハリポタの和訳が出て完結する記念。
私にとってはハリポタからの卒業だ。
右は今年第一回の俳句珍道中の提出五句。おそらく私が主催する俳句珍道中は今年が最初にして最後であろう。だから、記念。もし今後開催するとしてもそれはおそらく川柳珍道中になるだろう。ただ、季語などのがんじがらめの桎(かせ)がはずれた分、何かの趣向が必要となるだろう。来年は開催するかどうか、今のところ予定はない。
2008.6.21
第8回持寄りパーティ
雨が降らないか心配したが、なんとか雨が落ちてこないうちに開催、終了。
静子様楽しいマジック有難うございました。

また第9回も元気に開けますように。
皆さんの名刺はこちら
2008.5.12
「最高の人生の見つけ方」を見て。
パンフレットの画像だからあえてぼかしてあるが、余命6ヶ月の二人が沢山色々経験した事は分ってもらえるだろうか。スカイダイビングやカーレース、旅行もエジプトやアフリカ香港・・残念ながら日本には来てくれなかったが。この映画の面白いなと思った事は最初の場面と最後の場面。「ああ、この人だったのか」と最後にわかる。
もう一つの面白みは二人のうち一人はものすごく雑知識を持っていること、もう一人は大金持ちである事。とても映画を面白く興味深くしていた。大体の内容は予想される事であったが、やっぱり最後がほのぼのとしてよかった。
早起きしてゴルフに行き、先に夕食を食べて「ああ、こんなにおなか一杯で、寝不足やったらぜったいに映画館で寝てしまうワ」と言っていた人間が、一睡もせず、興味深く見ていた事をみても、中々良く出来た映画だったことが分ろうというもの。観客に、若者達が非常に多かったのには驚いた。
2008.5.5
劇場版「相棒」を見て。
まずものすごく反省させられた。真実を知りもしないくせに報道の揺動作戦に乗ってしまっている自分に。ちょうどこの日の朝掲示板に船場吉兆の事を書いたばかりだった。私は吉兆の何を知っているというのだろう。一度たりとも食事をしに行ったこともない。あれほどまでに報道されて一度つぶれるべきだと考えるより、つぶれない理由はなんだろうと考えるべきだったのではないか。
この映画は一方だけの情報しか得ないことの危険性、それに引き続いて起きる残忍な群集心理。
さらにその結果引き起こされる恐ろしい出来事。みんなに見てほしい映画だと思う。鈴木その子氏が死ぬまで言い続けた「物事は立方体で見なければいけません」と言う言葉、何度も何度も聴いていたのではないのか。
今になってそういう意味か!と解るなんて。なんたることか!この映画にしばしば出てくるチェスの棋譜、「チェスの事は良くわからんのだが」と思って見ていたが、それはストーリーをミステリアスにするための味付けのようなもの。この映画で知るべき何かは見た人すべての胸のうちに三者三様の形でどかんと重く残るだろう。ただ、救いは最後に多少溜飲を下げてくれた事。あのような二世議員が存在したらどんなにいいだろう。
(この場所へ導くトップのピンポイントの絵をハリーにしたのは、「ハリーポッターストーリー」の中でハリーもずいぶんマスコミの犠牲になったから。)
2008.4.19
第5回ピアノ珍道中発表会 

さて、また秋に向かって脳みそトレーニングの開始です。10月にも皆さんが元気に集えますように。
2008.3.23
この日のジェロの野外ライブについては前日に見たブログで始めて知ったもの。
困った。外に出るより、家で、「やらねばならないこと」「やりたいこと」など一杯あるから、そちらの事で時間を費やすのが大好きな私、悩んだ悩んだ。
第一野外ライブなどというものに行ったことがない。
休日になると更年期障害がぶり返す事の多い私のこと、きっと日曜だから無理だろうと思っていた。ところが、待てど暮らせど体調が悪くならない。「うーむ・・・これは『行きなさい』という大いなるもののお導きであろう」と解釈して出かけた。
地下鉄の堺筋線と言うのは堺筋本町までしか乗った事がない。扇町駅で降りたのも初めてなら扇町公園に行ったのも初めて。おっかなびっくり、それらしきところに行くと幸い人が集まっている所が見えた。やれやれ。近づくとうれしや「海雪」が聞える。始まるまでCDを鳴らしているようであった。
タクシーが2台テントの所に来た。それにジェロが乗っていたようだ。予想はしていたがやはり撮影禁止だった。最初司会の人が出てきて「本日MCを務めます○○です」って。MCって何?マイクロカード?なわけないし・・後で次男に聞くと「マスターオブコンサート」らしい。(司会でいいんじゃないの?)
最初は挨拶代わりの「海雪」の省略バージョン。(2番を抜いたもの)次にそのMCとの会話。京橋に2年半ぐらい住んでいたらしい。「京橋は、ええとこでっせ・・・」というテーマソングも一節歌ってくれた。私のまったく知らないものであったが。その流れで御当地ソング的なカップリング曲の「東西南北ひとり旅」を「手拍子お願いします」とジェロが言ったから、手拍子しながら聴いた。またMCとの会話でおばあさんが日本人で演歌が大好き。だからおばあさんの前で演歌を歌うととても喜んでくれたという、ジェロのファンなら誰でも知っている事を聞いた。なんと演歌のレパートリーは150曲という。その中で「釜山港へ帰れ」を歌ってくれた。こういうのを聴きたかったんだよな。
過度な音響効果が邪魔だったなー。
最後に「海雪」フルバージョンをしっとりと。それが終わると帰ろうとする人が動き出した。その時、MCが「ジェロは高校のときダンスクラブのキャプテンをしていた」ことを話し、文字通りの最後が「海雪」のダンスバージョンだという。帰りかけた人ももどり、しっかり堪能させてもらった事は言うまでもない。間奏にあわせての結構激しい踊りの後も息遣いがほとんど荒れてなかったのはさすがと言うほかはない。
楽しみにしていたサイン握手会。これはその場でCDを買った者に参加する権利があるようなので、もちろん売上に貢献する意味でも、私にとっては2枚目のCDを購入した。一人一人に笑顔で握手するジェロの顔には「笑顔」が貼り付いた様であった。大変だろうな、と思いながらも私自身もその大変な思いをさせる一人になろうとしていることに心が痛んだ。実際は握手だけで、画像のサインはあらかじめポストカードにサインをしたものを他のスタッフが握手の後、手渡すというものであった。
さて、握手の印象は、スリムな、骨を感じる手に驚いたとでも申しましょうか。赤川次郎先生の手を知っている人なら、それとはまったく逆だったといえば分るだろうか。赤川先生の手はぽっちゃりふんわりと柔らかく暖かいマシュマロのような手です。だから手の冷たい私は握手の前には必死で手を温めようと努力する。でも、ジェロのそれは私がさほど恐縮がる必要のないぐらいの暖かさだった。そして余り肉の付いていない手だった。「ああ、今ハードな毎日を送っているんだな」とかわいそうになったぐらい。睡眠時間は4時間と言う事だった。うちのランチを食べさせてあげたい・・などと考える暇もなく、かろうじて、「あなたの演歌とダンスが大好きです」と英語で言うのが精一杯だった。日本語ぺらぺらのジェロに英語で言う必要はないことだったが、なんとなく祖国の言葉を聞きたいんじゃないかと・・・そうするとちゃんと英語でありがとうと答えてくれた。MCの「今後の目標は?」という言葉に対して、「紅白です」と答えていたジェロ。それは間違いないことだろう。むしろ、紅白のレベルがジェロの器に耐えられるだろうかと懸念するぐらいだ。
野外ライブに来ていたのは文字通り、老若男女。まったくもって満遍なくいた!
嬉しかった。今の謙虚さを忘れずに歌い続ければジェロは日本の演歌界に偉大な名前を残すだろう。
2008.2.16
第4回クッキングパーティが無事に終わりました。
今回はやけに器がたくさん要ったので、次回はそうではない献立にしたいが・・・
皆さんが協力的で本当にありがたいこと。

久しぶりに静子様のお顔も見られて、幸せでした。
2008.1.9
新しいページを作った記念に新しいタイプの干支の根付を載せておこう。

さらに、今年は「Jolly Medic つじおか薬店」としての再出発の年でもある。

もどる





















inserted by FC2 system