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2009年 話 題

  のだめカンタービレ最終章前篇を見てきました。
画像はパンフレットのものです。
   ヨーロッパ編。ドラマの特別編の続きであるようだ。
もちろん原作なり、連続ドラマなりを見た人のほうが話の展開が分かっていいだろうが、それらが分からなくても、千秋がナレーションしてくれる。
連ドラの時から気に入っていたのが、のだめが投げ飛ばされるところなど、人形を使うこと。いかにも漫画チックでいい。ただ、原作が漫画だからといって、ふざけすぎたりしていないところが失望しないところ。
千秋君(玉木ひろし氏)の指揮ぶりがすばらしい
いったいどれだけ練習を積んだのだろうと痛々しささえ覚える。若者たちの演技が本当に楽しくて、時間がたちまち過ぎ去った。
 
  「寝ていたら起こしてくれ」と言っていたつれあいもほとんど寝なかったようだ。なにせ、クラシックときたら、突然ジャーン!!!!とどでかい音が鳴ったりするからおちおち居眠りもできない。
それにしても、音のない漫画の世界でクラシック音楽をテーマにして、しかもそれが大ヒット。 さらに世の中にクラシックブームを巻き起こしたという。
 
作者の画力と、それぞれのキャラクターのユニークな性格の設定。ストーリー展開はもちろんのこと。上手い作品に出合うと、それが漫画であれ、小説であれ、幸せな気分になる。一生懸命な若者たちの演技は一見の価値あり。
そうそう、私にとっては連ドラのころのオープニングテーマがガーシュイン作曲の「ラプソディ・イン・ブルー」だったので、それが映画でも聴けないかな?という淡い期待も込めて見に行ったのだった。来年春のピアノ珍道中発表会の曲目の一つがそれだからだ。残念ながらオープニングにはかからず、エンディングで「聞き覚えのある曲だな」と思ったら、なんとラプソディ・イン・ブルーだった。それがオーケストラで演奏されているから、ピンとこない。「オーケストラで聴くのもいいもんだな・・」なんて思っただけで、自分のピアノにとってなんの参考にもならなかったことは言うまでもない。
  2009.12.20 シェラトン都ホテル大阪にて
  コロッケさんのディナーショー。
そもそもディナーショーなるものを体験したことがなかった。昔ディナーショーというフレーズを聞いた時、ディナーを食べながら何かショーを見るのかと思っていた。実際は初めの1時間ほどで食事をしてそのあとショータイムとなる。だから、何やらあわただしいこと限りない。客は500人はいただろうか、常にボーイさんやウエイトレスさんがテーブルの周りをざわざわと動き回っている。最後の一切れを口に放り込んだらすぐさまお皿が下げられる。もぐもぐしているが目の前にはお皿がない状態。SONOKOの完全処方食事中であるが、この回は休憩。その分は8日目の夕食にする。やれやれ食事が終わってコロッケさん登場。ん?ふっくらされた?と思っていたら、なんと6月ごろから急に太りだして、10kg肥えたとか。それであの動きは大変だろうなと思った。大汗だくだくの熱演。心から、お客さんたちに「ありがとう」とおっしゃっている雰囲気が伝わってきた。その日は二回公演があったから、本当に疲れたことだろう。どうぞ身体を大事にしてほしい。さそり座の女を歌った後、美川健一になりきって 客席を回り、一人一人に握手。私はコロッケさんと握手したのか、美川さんと握手したのか???わからない状態。サービス精神に脱帽した。
しかし、長時間座った姿勢は疲れる。そう何度も体験したいものでもない・・
  2009.12.5  第9回JPC忘年会
   一日中雨という天気予報に「ありゃりゃ」と思っていた。しかし朝のうちこそ少し降ったが、そのうち止んでお帰りのころには道も乾きかけていた。
今回から、席はくじで決める。席の番号も順に並ばずに、どこだどこだと探さなくてはならない配列。
さて、今回の名刺は夏の名刺と呼応している。つまり、夏名刺の課題は「今年の後半の課題は?」を裏に表現することだった。で、今回この冬名刺は「夏で課題として掲げたことがどのぐらい達成出来ましたか」を裏に表現することだった。みなさんかなり頭を絞ってくれました。達成できた人、現在進行形の人、この冬からの参加の人、それぞれに上手に表現してくれましたよ。こちら
もうひとつ、忘年会用に渡されたクリスマスカード的メモリアルカードをある月について発表する。席の番号の月の分を発表する。13番以上の人はマイナス12をする。つまり、例えば席の番号が15番の人は、今年の3月の自分にとっての記念すべき出来事が何であったかを言うわけである。かなり記憶を呼び起こしてくれたのではないだろうか。今回は脳トレ、ずいぶん致しましたよ☆
 ところで、来年の名刺の課題はもう一年今年と同じパターンで行きたいと思います。今年とは違う課題に挑戦していただきたいと思っています。
  2009.11.19 マクロビオティックの講習会を聞いて。
 私にとってはマクロビオティックとはなんじゃらほいから始まった。
長寿法のことらしい。1928年ごろ桜沢如一という人が自ら考案した食事療法を広めたことから、広まってきたらしい。
今まで全く知らなかったが。画像がないので面白くないかもしれないが、一応概略を書いておこう。

「風邪の予防法」
・風邪にかかり始めは「過食」になるらしい。(そうかなと思う人も、いちおう読んでください)
つまりそれが自律神経失調の一つだという。だから食べ過ぎて風邪気味かなと思ったら翌日には少食か断食する。
・熱が出るのは免疫力を高めるためだから、むやみに下げてはいけない。タミフルの副作用を見てもわかるように。
消化不良を起こしているので、腸内で腐敗しやすい動物性食品は避ける。
・塩と酢で殺菌、最高の食べ物は梅干し。風邪は排毒(デトックス)反応なので、恐るるに足らず、むしろ歓迎すべし。

「自律神経のトラブルと血液」
・ストレスによる緊張で免疫力の低下。
・血液を酸毒化させる動物性や精白食品。
 (ここで、白米、白砂糖、精白小麦粉がおおいに悪者扱いされた点で、ちと理論が古いな・・とがっかり)
・身体を冷やさず、笑いと和食中心で。
 とくに腹を温めると、身体の多くの部分がぬくもり、血のめぐりがよくなる。

などなど、もっと長い講習会で、特筆するべきことも沢山あったが、今は時間がないので、またの機会に譲りたい。
  2009.11.16 「ゲンナイ君が行く」(穂南あずさ著)を読んで。
   ときどき画像掲示板に書き込みをしてくださる「ももぷー」様が本を出されました。帯には「七色の宝石箱のような児童文学短編集」と書かれています。
・さとしさんとの出会いと別れ、ほろりと温かい『カラス雇います』
・友達がぼくを避けていると思っていたけれど、僕のほうがみんなから離れようとしていたのかもしれないなと悟った『名探偵の秘密』
「サンキュウッこのお礼は必ずするぜ」と言ったお化けと僕とのその後がありそうな・・
・ハトが一人の男性の心を救った『鳩メール』
・カナリアが教えてくれたことば「声が出ない、なんて思いこむことないんだ」。『カナリアがくれた勇気』
・カバーのイラストになっている魚たちが登場する『ダブル・レインボウ』
とてもとても不思議な話だけれど、なんだかありそうに思えてしまうのが、これまた不思議。私自身熱帯魚を飼っているので、彼らを絵に描いて、切り抜くと空気中でも泳いでくれるんじゃないかなんて思ってしまう。親が子供の心配をしているようでも、本当はどんなに小さい子供でも親のことを心配しているんだなと教えてくれている。
・「ねえ、どうしたの?ぼく君になにか悪いことした?」いじめられるいわれがない。「うざいんだよ」という残酷な言葉。
わが子がいじめられっこだっただけに胸が痛んだ。ゲンナイ君のような友達がいたらどんなに良かっただろう。
この作品で、わからなかったところは、なぜゲンナイ君が箱からいなくなったのか・・おそらく読み込みが足りないのだろう。何度も読んでみたいと思わせられる。
・コンビニ「ミラクル 」の経営者たちは何者?というサスペンスタッチで始まる『コンビニ「ミラクル」へようこそ』
死神たちにも愛情を注ぐ作者の優しさが感じられる作品。
あとがきで書いておられます。
「時間がたっぷりあったら・・・と思うこともありますが、たくさんあるから有効に使えるかといえばそんなわけでもないのです。何とか時間の隙間を見つけては自分のために使う。それは実は贅沢なのかもしれません。」と。
今後の活躍がとてもとても楽しみなももぷー様、いや、穂南あずさ氏にエールを送りたいです。
  2009.11.14 メモリアルカード出来上がり
   年末に渡すクリスマスカード兼メモリアルカードのプリントができました。
今回の原稿はタイトル面のほうがななふく様、コメント面はタントちゃん。どちらも力作です。
コメントは2009年の欄と2010年の記入欄とが並んでいるので、対比出来て面白いでしょう。それぞれその月で印象に残った事柄を書きとめてほしいです。
原則はこのカードは12月5日の忘年会に参加される人にのみ渡す予定ですが、熱心なメンバー様なら、やむを得ず欠席の方にもお渡しします。
参加者は引き換えに会費を徴収致します。(まだの方のみ)

ご担当のお二方にはお礼申します。
  2009.11.7 来年のクッキングの予行演習
  これはブログ用に撮影して、作った画像であるが、来年の参考のためにここにも載せておこうと思う。
ブログのほうはどんどん流れてしまうから。
当日は豚肉のみにしようと思う。鶏肉が苦手な人が何人かいるようだ。
さて、トンカツである。
肉に塩コショウはしておく。
卵一個を溶いて、同量ぐらいのだし汁で伸ばしておく。小麦粉を大匙3〜4杯いれてざっと混ぜる。そこへ肉を入れて、十分なじませる。
天板にパン粉を敷き、その上に小麦粉汁を絡ませた肉を伸ばして並べる。
次がポイントなのだが、その上に、すりごまをまんべんなく振りかける。そして、パン粉をまぶす。
今日は180度で15分だったが、まあそれぐらいでいいようだ。 
目論見通り、ゴマに含まれる油のなせる技だと思うが、焼きたてはカリッとする。これは今までにはなかなか出せなかった感触。
これで一品できた。
あとはまたぼちぼち考えていくことにしよう。
  2009.11.3 小学校の時の同窓会
  大阪梅田のホテルグランヴィアということで「助かるなー」と行ってきた。
ここ何年間かは「同窓会、クラス会は 、もういいな」と思って、案内のはがきにも「お誘いいただいてももう参加することはないでしょう」なんていう返事を出したもので、どこからも連絡が来なくなっていた。
「まあ、過去を懐かしんでいるひまもないからこれでよし。」と思っていたのだが、「おや、それでも連絡をくれる幹事さんがいるんだ」と思った時、「ああ、せめて幹事さんにお礼を言いに行こうか」と思った。
一生懸命お世話くださる幹事さんたちにとっては私の返事は、残酷なものであっただろうに。
母校が廃校になって何年になるのか、建物自体がなくなったのは7〜8年前であろうか・・。お別れの会の時のビデオを見せてもらった。涙こそこぼれなかったけれど、感無量であった。
もうひとつ、最初の挨拶をした幹事の一人の言葉が印象的であった。2年後に還暦の祝いの同窓会が行われる予定らしい。それについて、「自分は60歳になることはそうも思わないが、あと12年で70歳だと思うと、びっくりする。」と。まあ男性のサラリーマンの方にとっては定年というのがその間にあるから、そのあとはどうなるのだろうという不安があるのかもしれない。しかし、70歳前後のメンバー様方をたくさん知っている私にとっては、「何をそんなに不安がる必要があるのか」と思う。
しかし、参加した人たちを眺めるに、「大丈夫やわ」と思った。みんな生き生きしてる。ただ、4クラスあるうち、先生は3名、同級生が4名物故者になっていた。こういう年齢になってきたんだなとしみじみ思ったひと時であった。
   2009.10.17 第8回ピアノ珍道中発表会
始まるまでの様子。三々五々と参加者が集まってくる。それぞれに、おしゃれをされている。しかし、この日のために 買いそろえたものではないはず。捨てるには忍びないが、着ていくところがない。そういうものに、日の目をみさせるためのおしゃれなのである。
     
     みんなそれぞれに思い思いのほうを向いて撮影しているのは、イベントの後リポートするためなのだ。
ホームページに載せたり、メモリアルを作ったりしてもらう。
JPCのテーマである脳トレのためである。
 いよいよ試練の時の始まり始まり。出来栄えは二の次三の次。半年間えいえいと頑張り続けたメンバーに万雷の拍手が送られる。
     
 ちらしずしとローストビーフ、マコモダケとオレンジピーマンの炒め物、オムレツサラダ、ワカメ、マスカット。  デザートのドライフルーツのパイン、友代様差し入れの柿、クマ様差し入れの栗。コーヒーも。  初参加の時とは打って変わって落ち着いてすてきですよ、オリーブ様。「さそり座の女」「男が女を愛する時」
     
 今回は万全の練習量で臨まれた、トミコ様。さすがの出来栄え。「タンブラン」「人生いろいろ」 9月の末に入会で、出場を決めていただいた。聴くだけで弾けるというやじさん。「天城越え」「サントワマミ」   やっとピアノに真正面から取り組んでくれた俊子様。「カッコー」
     
 着物姿もさることながら、みんなをほれぼれさせてくれたしーちゃん。「フラメンコ」、「はなみずき」(後者は弾き語り)  一時体調を崩されて、参加が危ぶまれたエミリン様。回復されてほんとよかった。「見上げてごらん夜の星を」「マイフェイヴァリットシングス」  いつもしっとりと着物を着こなしての友代様。練習通りの落ち着いた出来栄え。「花の歌」「公園の手品師」
     
 能書きを垂れないと弾けないと、おっしゃるひろこ様「港が見える丘」「幻想即興曲」  着物の着こなしも、ピアノ演奏もそつなくこなす英子様。「カノン」「北の宿から」  かわいいお嬢ちゃまと一緒に出席、うさじろう様。「世界に一つだけの花」「ワルツィングキャット」
     
 その笑顔さえあれば、ピアノはどうでもいいというyokko様。「トップ・オブ・ザ・ワールド」「船頭小唄」  しみじみと詩吟「春日山懐古」。腕が痛いから、着物を着られないかも、とおっしゃっていたが、しっかり着物姿で。  今回はクマ様は リフォームされたお召し物で演奏。「ワルツ」「かなしき口笛」
    今回のテーマはクラシックは「自分の知らない曲を選ぶこと。事前に曲を聞いてはならない。」だった。
つまり、音符の長さだけを見て弾く。
もう、ほとんどが素人である我々にとって、至難の技であった。
大変脳トレにはなったと思うが、少々評判が悪かったので、しばらく、この課題は封印したいと思う。
それにしても、自分のことであるが、なんという体たらくであったことよ。
弾いている途中で、集中力が遠くに飛んで行くのを感じた。半年間で一番ひどいできであった。
私の出来栄えがハチャメチャだったから、弾きやすいとおっしゃっていた人も多い。まあ、それで役に立ったとしようか。次回分の選曲は真剣に考えないといけないなと思う。
今回載せた画像は演奏者だけではなく、それをみんなが一生懸命撮影してる様子も残しておきたくて、こういう画像にした。 
 ファッションに注目して☆と敬子様  「アリア」「珍島物語」
   
 お仕事の関係で体調を崩されながら参加。お疲れさまでした。 お顔を隠さなくてもすばらしい出来栄えでしたよ。清子様。「セ・シ・ボン」「雨だれ」 
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このありさまが二曲とも!
「二重奏(無言歌集より)」と
「憧れのハワイ航路」
まったくどうなっているのか、我ながら理解不能。
次回はもう少しましになっていたいものである。
 ながらくお待たせいたしました。待望の静子さまのマジックの始まり始まり〜本当はチャイナドレスを着たかったとおっしゃる静子さま。本日のお召し物も、素敵です。
     
 ではこのヒモを切っていただきます。  うわ、こわ。ええの?ほんまに切ってもええの?  あんまり近づかないでください。
「いやー!あっはっは」
    いつも思うことだが、マジックをしてみせるということはサービス精神がないとできないと思う。
つまり観客を楽しませるために、人知れず、猛練習を重ねるということだ。
すばらしい☆
その精神がある限り、ぜったいにボケない。
大いに見習いたいものである。

はとマジック
花マジック
ヒモマジック1
 わすれそうや・・うまくいかへんかったらどうしよう・・・  はーい!このとおり!
   
 一生懸命カメラを構えているから、拍手が少ない。  ポーズをとってくれという言葉に愛想よく答えてくれる。
 さて、しんどくも楽しいイベントが終わって、片づけを手伝ってくれて、さらにレッスンをしようというメンバーさんたちが、今日はたくさんおられましたよ☆
  土曜日にしかこれない方もいらっしゃるとはいえ、時間を有効に使おうとなさる皆さんの姿勢がうれしいでした。

でも、お疲れになったと思います。
どうぞ、早くお休みくださいね。

本日もたくさんの方々にお手伝いいただき、やっと無事に終わることができました。
ありがとうございました。

また来春、無事に開催できますように。 
  2009.10.2 JEROのファーストコンサート大阪公演
  2008年はJEROで明け暮れた一年であったが、2009年の初めの頃心境の変化で、静かに見守ることにしたのだった。
しかし、歌手になって初めてのコンサート、大阪に戻ってくる。
3か月ほど前のファンクラブからの通知で知ったことである。迷ったけれど、一応、応援してゆこうと 決めた者の義務かなと申しこんでいた。まるで里帰りする息子の様子を見に行く感じ。
場所が実家の近くの厚生年金会館であったことも、私を後押しした。
ところがなんということ。地下鉄からの出口を間違えたのか、とんでもない所に出てしまったようで、ぐるぐる回っても、見覚えのある景色は現れない。仕方がないから、そこらへんのブティックのにいちゃんに聞いて、逆方向を歩いてきていたことを教えてもらった。
まったくなじみの場所でも、そのほん何メートルか四方しか知らないんだと認識した。
厚生年金会館は外側はよく知っていても、中へはあまり入ったことがない。大ホールへ入ろうとして、プライベートルームのドアを開けてしまった。途中で入ってもいいようにドアは二重になっているんだね。
 懐かしい声が、聞こえてくる・・ここまで来て、初めて、「ああ、生演奏ってうるさいんだった」と思い出した。みぞおちを下からごんごん突き上げられる感じ。
 暗闇の中で係りの人に教えられてやっと着席。近辺の席の方、すみませんでした。「大阪ジュエル」から始まって、さあ、20曲ぐらい歌ってくれたか。コンサートって、一部と二部とに分かれているというのも初めて知った。大昔、労音でフェスティバルホールに行った時にはそんな休憩時間なんてなかったんじゃないかな?
  その間に、新曲「爪痕」と「カバーズ2」を買った人には握手券が配られるということで、またやおら立ち上がってCDを買いに。ひとりしかいないのに、握手券が2枚。それでなぜ二枚の画像があるかというと、実は握手をしていない。あまりにも人が多すぎ。肉の付き具合など確かめておきたかったんだが。まあ元気にダンスも踊っていたから大丈夫だろう。 
 
  今年の紅白には新曲「爪跡」で挑みたいと言っていた。
買ったCDを今朝からかけている。すぐには覚えられない。でも、「えいさ」ほど難しくもない。なんとなく大丈夫かなと思っている。親ばかまがいか・・
 最近は菊正宗のコマーシャルソングも歌っている。35年ぶりの変更らしい。
さて、私も日常に戻りましょう。
そそ、母に会ってきました。ますます小さくなってまるで赤ん坊に戻っていくようだった。
痩せて、骨に皮が張り付いて、それが服を着ているようだ。
痛々しいが看護される立場としては体重が軽くなることはいいことだ。
物言わぬ母親にさよならと言って戻ってきた。
帰りはタクシーのお世話になってエネルギー消費の節約。
お陰で今日も元気で働ける。
  2009.9.22 映画と食事会
  画像は映画「火天の城」のパンフレットのものを使わせていただきました。

←ここにこの間の南極料理人のパンフレットと並べたのは大きさの違いを比べてもらいたくてである。ハリポタのパンフレットと比べても2割りがた大きい。こんな大きいパンフレットは初めてじゃないかな・・もっとも私が行った映画の中だけの話なので、他にもあるかもしれないが。要するに、城の大きさをパンフレットの大きさで表現したかったのではないかと思うわけである。 
安土城と聞くと、ああ、戦国時代か、織田信長なら桶狭間か?などと戦闘シーンを思い浮かべるが、それが「ない」と聞いて触手が動いた。山一つを城にする話。すごいんだろうなという想像を裏切らない作品。なかでも見かけは五重中身はは七層というお城を支える親柱を探しに宮大工の棟梁(西田敏行)が行く場面は圧巻だった。右の画像は樹齢2000年のヒノキ。この場面を撮るためだけに台湾ロケを敢行したらしい。「あった、やっと出会えた」と放心状態でヒノキにしがみつく棟梁。うまいねぇ。その時その棟梁を案内したのが、緒形直人演じるソマ人甚兵衛。いい味出してます。この木が織田信長と敵対する武田領の木曾にしかない。「大雨が降るまで待て」という 甚兵衛の言葉を信じて安土へ戻ってゆく棟梁。森林の中を歩く西田敏行の姿が痛々しくて・・「確か少し前に何かで入院したんだよな・・この人。もうちょっとやせないと心臓にも負担だろうな」などといらん心配をしながら見ていた。信長役の椎名桔平という役者さん、初めてじっくり見たが、「ふーむ・・・信長とはマジでこういう人だったのかもしれないな」とその演じぶりを見て感心した。  
  この映画では、涙がこぼれて、顎まで伝って、それでもじっと見続けて、気がつけばその涙が半分乾きかけていたという場面が 二か所あった。棟梁の女房田鶴(たづ)役を大竹しのぶが演じていたが、彼女が笑おうとして、涙がこぼれてくるシーン。
それと、棟梁が甚兵衛からの手紙を読むシーン。みんな上手すぎる!
三年の月日をかけて作った城がその三年後に消失してしまったという事実は何を意味するのか・・自然の怒りに触れたからか・・残念で仕方がないが。
何かを成し遂げるには人の心が一つに織りなされなければならない。特に重機器のなかった昔にはそれが重要だったことだろう。しかし、現在においても、それは言えると思う。この映画が、多くの人の心の結晶であるように。
  珍しく昼間に映画を見て、夜はお義母さんを誘って食事会。だれの感想を聞いても「ええとこやで」という言葉しか返ってこなかった平野郷のすし屋さんで。
特に傘寿の祝いというわけでもない。何回も傘寿傘寿と言われるのも嫌だろうし、21日が敬老の日だったからというわけでもない。日頃の感謝の意味で。

そこは普通の街並みの中に突如存在する感じ。
昔の誰かの屋敷を料亭に改造したものらしい。当時の面影をできるだけ残そうとする姿勢があった。
料理も、もはや息子も食べざかりではなく、みんな「えー!!まだ来るの?」といいながらも、最後に完食。

確かにそこそこおいしかったし、そのなんとか全部食べられる量というのもいいんだろうなと思う。

ただ、年配者と一緒に行って思ったことは、昔の家の特徴である「バリアフリーではないところ」がなんとかならないかな?と思った。
「ここ、段ありまっせ」と何度も言わねばらなかった。
庭の飛び石も凸凹が歩きにくく、こけないように注意が必要。この辺は、経営者がトシを取ってくれば改善されるかな? 
最後に誤解がないようにもう一度、料理はおいしかったですよ。
無類の暑がりのお義母さんはセンスで時々パタパタ。撮影している私は薄いコートを羽織っていた。
(「極端やなぁ」と男性軍の声。)
  2009.9.21 南極料理人を見てきました。
   画像は映画「南極料理人」のパンフレットのものをお借りした。

南極の話というと、今まで、観測のこと、採掘調査のこと、調査船のこと、大変な環境であることなどばかりであった。
隊員たちの食料のこと、その調理は誰がするのか、どんな料理を作るのか、そういった話を聞ける機会もなく、なんとなく考えもしなかった。
ラジオでふとその話を聞いて、マイナーな扱いを受けていること、もうすぐ上映も終わるのではないかときき、あわててネット検索して行ってきた。難波の小さい映画館だった。
もう一つ、ぜひ見たいと思ったのが、その料理人を演じるのが、「篤姫」で13代徳川家定を演じた堺雅人氏であったことである。物静かな演技で、見る者の目をくぎ付けにし、ひょうひょうとコミカルな雰囲気でシリアスを演じる不思議さ。なんと魅力的な俳優さんだろうと思っていた。この映画でもその期待を裏切らず、見事な役者魂を見せてくれた、脇を固める俳優さん達の個性的なこと。こういう感じでしたいんだと監督が言えば、役者さんたちだけでやってくれるんじゃないかと思えるほどだった。
監督は沖田修一氏、32歳の若さ。この作品で劇場用長編映画監督デビューとなった。
 
 
  数々の料理が出てきたが、山になったのが、右のラーメン、そして、左下の伊勢海老の海老フライ。
もう一つ、画像はないが、隊員の一人の誕生日のためのローストビーフ。私が面白いなと思ったのは、肉が大きすぎでフライパンでは焼けないので、防寒着を着て、調理担当と、医療担当が肉を棒にさし、油を塗りつけ、それに火をつける。すると、その棒を持っていたドクターが「(調理担当の)西村さん!困った!楽しくなってきちゃった」と逃げる西村を追いかけるところ。 
 
  この伊勢海老のシーンではほとんど同時に全員伊勢海老の頭を皿の前に出すところ。笑えた・・上の画像で堺氏のヘアスタイルがずいぶんぼさぼさになっているが、それで時間の経過がわかる仕掛けになっている。
帰国して日常に戻ったところで終わっているのだが、この映画は遠く離れてわかる、家族愛、人の気持ち、それと何より、「おいしいものを食べると元気になる」ということを言いたい映画なのだろう。エンドロールでも楽しませてくれるのがうれしい。
 見終わったわれわれが空き腹を抱えてレストランに駆け込んだのは言うまでもない。
バイキング形式で、ラーメンがあったのがうれしかった。
  2009.9.19 第7回クッキングパーティ
  献立はかき揚げ風天丼と野菜サラダマヨネーズ風のせ。デザートはオレンジシロップケーキ。

かき揚げもマヨネーズもオリジナルなので、事前に五回も六回も作ってみたが、満足のいくものはできていない状態だった。
「こりゃあ・・少々波乱含みだぞ・・」と思いながらクッキングパーティ当日を迎えた。

どうなることかと思っていたが、さすがベテランの主婦の皆様、私の作った拙いレシピを見ながら、協力して作ってくださった。
「卵が足りないから、団子みたいになったわ」
「だしでのばそう 」「泡立て器でだまをつぶそう」
「え?トマトの皮ををむく?湯むきじゃなくて?」「包丁が切れないから、砥石貸して」などなど、臨機応変に対応して下さりなんとか料理にしてくださいました。
心から感謝いたします。
また、みなさんに聞いてもらおうと、大きな声を出して、「おお、こわ」と思わせたり、「怖い顔してる」と感じさせたり、申し訳ないことをいたしました。
どうぞ、おゆるし下さいませ。
     
本日のテーブルセッティング。一見意味不明のように見えるハリーポッターの本たち。実は、会食の後のアトラクションの時のグループ分けのためなのである。   朝9時ごろから来てくれて、オレンジシロップケーキを作ってくれたトミコ様。
関所のお役人役もしてくださったのです。
 こちらも9時台の来てくださったしーちゃん。キチンと着物をお召しになって、一番手間のかかる野菜の千切りを大半してくださいました。予習のように事前にご自分でも作られたので、とても段取り良く手伝ってくださいました。
   かき揚げの衣風のものを作ってくださった皆様、大汗をかかせて申し訳ありませんでした。
野菜を切ってくださった皆様、マヨネーズ風を作ってくださった、よっこ様オリーブ様、天つゆを作ってくださった英子様、盛り付けてくださった皆様、本当に感謝いたします。
そのたお土産のデザートを配ってくださった方や、こちらが気付かないことをしてくださった皆様、本当に感謝いたします。
有難うございました。
予想以上のおいしさで感心しながら全部いただきました。
     
 「ああ、おいしいおいしい。」
「うまいこと出来てるね。これ油使ってないの?」
 「このマヨネース、簡単に作れるわ、うちでつくろ。孫がマヨネーズすきでねぇ」  「コーヒー要りませんか?」
クッキングパーティの時はコーヒー飲み放題。
  「 はじめまして、遅くなりまして、すみません。あら、お久しぶりです。
いつも頂くばっかりで・・」・

お仕事で忙しい方はとりあえず召し上がっていただく。
またご興味がありましたら、レシピをご覧になって、おうちでも作ってみてくださいね☆
     
 食後のアトラクション。今回は晴代様のご提供で、「漢字で遊ぼう」。  「ここ、これでええの?」
最初の問題は人の名前で抜けている文字を下から選んで入れていく。
 二番目の問題は四文字熟語。番号が付いていて、同じ番号のところには同じ漢字が入る。下に選択肢がないから難しいのなんのって。
  三番目の 問題は4文字熟語でしりとりのようになっている。下に選択肢があるとはいえこれも難しい。何といっても四□八□の□のところがみそだった。
ほとんどの人が四苦八苦と入れたはず。しかし、実際は四方八方。そうすると次への漢字が「方」でないといけないのに、「苦」になってしまう。普段JPCで脳みそトレーニングをしているはずの面々だが、急に、しかも猛烈に脳みそをかきまわされた感じで、つかれた方も多かったことだろう。私もつかれましたよ。
三班は友代様の大活躍で堂々の第一位。
問題を用意してくださった晴代様ありがとうございました。
晴代様いわく「これぐらいで音をあげていてはあきまへん」。
     
 さて、そろそろお開き。
片付けてくださった皆様ありがとうございました。
 後片付けの様子も撮影☆  撮る人、撮られる人、楚々とした着物姿が素敵です。
     
 一仕事終わって、軽く談笑。  ピアノのレッスンをする人、本を借りようと、選ぶ人。  そして居残ってレッスン
パソコン、ピアノ、木目込み。
 独白
実を言うと、今回ほど身体が動かなかったことはなかった。
当日のことではない。それまでの準備段階のこと。2〜3ヶ月まえからのことだった。
レシピも半分ヤケクソのように作ったものだ。これではいけないという頭がずーっとあった。
苦しかった。
私に身体的エネルギーと気力がなくなってきたら、一番先に中止するイベントはクッキングパーティだとおもっている。
これほど消耗するイベントはない。
ただ・・・
一番皆様に伝えたいことを身を持って体験していただけるイベントでもあるのがこのクッキングパーティなのだ。
いくらクチをすっぱくして言ってもダメ。
それを食べてもらうだけでもダメ。
作ってみてもらわないと。そして、自分でそれを食べてみてもらわないと。わかってもらえない。
だから・・・できるだけ長く続けたいとも思っているイベントでもあるのだが、はたして・・
  2009.9.8 なんとカレンダーもできてしまいました。
   
 ここまで白っぽいと何の画像か全く分からない。まあJPCに来て実際に見ていただくしかあるまい。一応一枚に二か月タイプと一か月タイプのひな形を作ったが、これはそれぞれで好きな形にしていただいたらいい。手帳のところに書いたが、カレンダーも自分のものは自分のサイトに展示してもらうことする。  毎年といってもここ3年ほどだが、カレンダーのひな型が出来ると同時にできる年間予定表。今回は領収印の代わりに担当者を書くことにした。他に領収状況を控えるところがあるから、印は必要ない。また、誰が担当だったかを皆さんに覚えていてほしいからである。今まで担当したことのないところにチャレンジしてほしい。
  2009.9.8 担当の方々のおかげ様で
  第8回ピアノ珍道中発表会のプログラムが出来上がりました。中身はともかく、おもて表紙、うら表紙ともに個性あふれる仕上がりで、とてもいい感じ。大切に残しておきたいプログラムです。(今までのものももちろんそうですが)
ピアノ演奏のビデオ撮りが終った人にはお渡しします。また会費のまだの方はその時にお願いいたしますよ。
今更ながら、ピアノ珍道中の意義を。(以前にも申し上げたと思いますが)
・右手と左手を同時にべつの動作をさせること。(右脳、左脳のマッサージ)
・毎日少しずつの練習で次第にものになってゆくことを実感すること。
(他のことにも通ずること)
・人の前で演奏するときにドキドキすること。
(これが、心臓を強め、困ったときに冷静になる訓練になる) 
要約すれば「脳トレしながら、図太い神経を養成し、努力の意義を知る。」何といってもピアノで曲が弾けることって嬉しいことじゃありませんか?
  2009.9.4 やっと・・・
  なんだかいつも「やっと」と書いている気がする。
なぜか難航した手帳のひな型ができた。月名付き罫線が入った分と、両面タイプの手帳である。経済的なことや、お手軽感を重要視する人にとっては「なんで手帳なんかつくらなあかんねん。百均へ行ったら¥100で売ってるやないか」と思われるだろう。わざわざ、手帳やカレンダー作りをJPCの課題にしている理由は
 ・第一番は脳みそトレーニングのため。(かなり脳みそ使います。)
 ・住所録ぐらいしか使わないエクセルを活用すること。
 ・自分の好きなスタイル、デザインのものを作ること。 
それと何よりほかのメンバーさんの作品を鑑賞できること。これは井の中の蛙にならなくて済みます。ついつい独りでやっていると独りよがりな物しかできなくなっていきます。今年からは、ご自分の作品はご自分のサイトに載せてもらいます。
JPCのサイトで展覧会をすることはやめます。それぞれのサイト上で、苦労話や、思い入れ、ぜひ見てほしいところなどどうぞ文章で書いてご紹介ください。「文章を書くこと」も一生必要なことであり、これまたすばらしい脳みそトレーニングになるからです。さて、カレンダーはまだです。
  2009.8.19 やっと秋のクッキングパーティのレシピができました。
  今回のレシピは難航した。まず献立に少々無理がある。
油を使わずに天丼を作ろうというものだ。衣に四苦八苦。未だ成功とは言い難い。意外に当日成功するかもしれないと期待をかけることにしようか。
サラダにかける油なしのマヨネーズはそこそこいける。

レシピの担当が自分だからと、どうしたら自分らしさが出せるだろうかと考えた。ありきたりの文字だけのレシピだと、面白くないなと思って、絵を描いて調理順を表そうとした。描いていくうちにだんだん後悔の念に駆られることとなった。しんどいのだ。
ただ、まあ今回のことは、それぞれ担当のメンバー様方に、「担当した部分のデザインに自分らしさをだすこと」というテーマを訴えたくて、やっていることだからと、なんとか仕上げた。 表紙のデザインはトレードマークのフクロウを入れておられるから、どなたが担当されたかは言わずもがなである。
 さて、このレシピと交換に、まだ会費をお払いでない方は、払って頂くこととする。ドタキャンの場合はその会費は返還する。今回の珍道中のあとのアトラクションは、晴代様提供の「漢字で遊ぼう」である。楽しみなことだ。
  2009.8.8 第一回川柳珍道中
  最近はイベントのランチはローストビーフが多い。
自分がよう作らないものだから、普段のランチには絶対に出さない献立。
だから、毎日のようにランチをご利用いただく方にも久しぶり!となること間違いない。
しかし、今日の量は私にとっては少なかったぁ〜〜
みなさん足りたでしょうか。
食後間もなくおなかがすいてきちゃいましたよ。

今回は真夏の集いということで、浴衣、もしくは絣を浴衣のように着てこられたメンバー様もいらして、眼の保養にもなりました。
夏の着物をリフォームしたものを着ていたメンバーさんもいましたよ(私も含めて)♪ 

手伝ってやろうと早い目に来てくださったメンバー様方ありがとうございました。
  最初は作成した川柳十句を各自読み上げ、それぞれを作ったときの心情など、説明。
その後質疑応答。
聞く側は食事をしながら、写真も撮りながら、質問も考える。
発表する方も聞く方もそれぞれに忙しい。
みなさんなかなか真剣に聞いておられたのには感心した。
その後、コーヒータイムのとき、あらかじめわかれていたグループごとに即席川柳作り。
お題は友代様の提案でJPCに関係あることばかり。
・川柳珍道中、・着物珍道中、・フラッシュ、・ランチタイム、・パソコン、・忘年会、・ピアノ珍道中、・エクセル、・ワード・英語珍道中、・夜間部・・・・・
それのどれが当たるか分からない。
考える時間は1分間。 
集中力の必要な凝縮した時間であった。

後片付けを手伝ってくださったメンバー様方ありがとうございました。
  今日は居残り組みが多かった。
フラッシュ作品、お子様方とのメモリアル、
リフォーム、ピアノ、本日のメモリアル
ホームページの更新・・・
皆さんの時間を有効に使っておられる姿を拝見して、うれしいでした。

今まで色々イベントを開催してきたが、ピアノ、クッキング、持ち寄り、忘年会以外に決まって開催するものというのがなかった。一回か二回で終わったイベントは
2007年:着物珍道中2回、ゆかた祭1回、英語珍道中1回。
2008年:俳句珍道中1回
どれも、「また来年やりたいな」と思うものではなかった。もっともそれぞれに影響は受けているが。
着物に興味を持ち、英語の原書を読んだり、俳句から川柳への流れができた。
今回の川柳珍道中を開催してみて、「これは毎年開催する値打があるな」と思った。パソコンを使ってのレイアウト、もちろん心情を五七五に表すことなどいわゆる脳トレの最たるもののような気がする。
また来年元気で集えますように。
  2009.8.6 『もやっとボール』の作り方を教わりました。
 
(見苦しい矢印ですみません。)
なんと一つの『もやっとボール』を作るのに、折り紙が12枚必要なのだ。まずパーツを一つ覚えるだけでも、大変。覚えたつもりで、うっかりすると間違える。それを3個ずつ組立、その4組をさらに組み立てていく。
俊子様のご自慢のお孫さんゆうすけ君の指の動きの速いこと。動体視力が必要なんじゃないかと思うほどであった。「ちょちょっともう一度お願い」と何度もやってもらって、やっと独りでできるようになったが・・。
夕方、「できるかな?」とやってみたところ、「あれぇ・・」という始末。もう一度ばらしてやっとできたが・・・日にちがまたがったらどうなる事やら。ゆうすけ君ありがとうございました。
俊子様、ご一緒くださって御礼申します。  
  2009.8.3 ゲルマニウムの講習会
     
 この「東淀川人権文化センター」というのが分からなくて、新大阪駅を降りてから、だいぶんうろうろした。早い目に出ていたので、開始までには余裕で着いたが。  この建物は最初からこういう目的で作られたのかどうか・・。いろいろな集会に使われているようだが。  中は元は小学校か何かだったのではないかと思えるようなつくり。左手前の集会場が講習会場であった。
  ←これは人体に電流が流れていることがわかる「エネルギーボール」金属と金属に指を当て、ボールを含めて閉鎖にすると、「ぷるるる」と音がする。50人ぐらいで閉鎖にしても音が鳴る。ただ、その間に「水分不足の人」「干からびたような人」が混じっていると、音が鳴らないのが不思議。電流は水分に乗って流れているんだなとわかる。
それはさておき、私が朝から晩まで、しかも二日にもわたっての講習会に出席した目的は、ゲルマニウムとは何か、ゲルマニウム温浴の意義の二点を知るためであった。
辞書的な意義は「ゲルマニウムとは 金属と非金属の間の物質、半金属である。」→よけいわからん説明。
昔昔、トランジスタとして使われたらしい。+の電気を帯びたP型とーの電気を帯びたN型を組み合わせて、電波のどちらのひずみも調整できたらしい。
 で、講習を受けたのはゲルマニウムの粒を丸い絆創膏で皮膚に貼るタイプ。そのゲルマニウムはマイナスに帯電しているN型らしい。一方身体の具合の悪いところはプラスに帯電しているという。このことに関しては医学会でも認められているとのこと。だから、そのプラスが集まってきているところに、マイナスのゲルマニウムを貼ってやると、中和されて、一時的に具合の悪さが解消されるという理論。
だからこれは私の考えだが、貼っただけで、「具合の悪くなった原因となる生活状態」を相変わらず続けていたのでは、治らないだろうなというのは容易に想像できる。なお、ゲルマニウムで一時的に解消される異常は「筋肉」に関してである。
なお貼る位置としては、東洋医学のいわゆる経絡に沿った経穴に近い位置に貼るようだ。
偶然隣に座ったご婦人が、まー経絡(けいらく)や経穴(けいけつ)についてよく知っているのには驚いた。
ご自分とご主人のために経絡について勉強しているのだとおっしゃる。すばらしい!
私自身二日間参加した意味はこの隣り合わせた人と知り合うためだったのかと思ったぐらいである。
ゲルマニウムを貼る位置も(貼るのなら、)経穴を目安に、その人の痛いところでいいのじゃないかと思う。

さて、ゲルマニウム温浴に関してだが、結論から言うと、いわゆるバスエッセンスなどの浴剤となんら変わりがないのではないかと思う。
ハーブなどとゲルマニウムの無機イオンが入っているがそれがどの程度人体に働くのか同課は不明である。
第一、前述の理論から言うと、プラスの部分にも、マイナスの部分にも、まんべんなくそのイオンを触れることになる。だいいちイオンになると、もしかしてプラスイオンになっているのではないだろうか。
聞くところによると、エステなどではそれに足や腕を浸して、汗をかかせるとか・・・
これは私の信念なのだが、「汗は無理にかくものではない」と思っている。汗をかくのにはかなりエネルギーを使うらしい。それは自分の身体に任せておけばいいのではないだろうか。必要ならばかくだろう。
それでなくとも「エネルギー配分」に苦慮しているのに、そんなエネルギーの無駄使いはしたくないものだ。
もう一つ汗とともに不純物?老廃物?が出ていくという意見もあるが、汗以外の体液とどの程度違うのかと思う。生体にとって害になるかそうでないかの判断はある程度は肝臓と腎臓とでする。それで区分けされた不必要なものは尿となって出てゆく。
汗と尿とは違うんじゃないだろうか。
どう考えても「汗を無理にかかせる必要性」は感じられない。

話は、ずれたが、そういうわけで私のゲルマニウムとの出会いはこの二日間をもって終了した。
以前、ゲルマニウムの治療を一度だけ受けたときに貼ってもらった(つまりそれだけ分買ったのだが、)ゲルマニウムの粒がいくつか手元にある。したがって、それらは、これから勉強しようと思っている経絡に沿って、痛みを感じる経穴に貼っていこうと思っている。
ーーーーー
これはウィキペディアに載っていたことだが、
いかがわしい健康食品でゲルマニウムの入ったサプリメントなるものがあるらしいのにはびっくりする。
かなり副作用がありそうなので、決して口にはされませんように。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
  2009.7.19 映画「ハリー・ポッターと謎のプリンス」を観て。
画像はすべて映画のパンフレットのものをお借りした。
  今回のメインはハリーがダンブルドア校長と一緒に最後の探求に出かける場面じゃないかなとおもう。なんであの液を「飲まねば」ならぬのかは今もって謎だが、この部分は映画の製作者にとっても 苦労しただろうし、お金も時間もかかったろうし、やりがいもあっただろう。
それだけ苦労して手に入れたのが偽物のロケットだったというのがつらいところだが、これから独りで(独りではないが)苦難に立ち向かわねばならないハリーにとって、勉強になっただろう。
 左上(→)に写っているのが、ハリーの恋人ジニー(ロンの妹)なのだが、とても魅力的な女性に成長していて、うれしかった。身長がハリーを超えていたのが、ちとやりにくいだろうなとは思ったが。自分を見失わぬ気の強さ、それでいて、人の心のよくわかる優しさを備えているという演技がうまかった。今回ロンは一方的に惚れられたり、ハリーへのプレゼントである惚れ薬入りのチョコレートを食べて、メロメロになったり、ハーマイオニーにやきもちを焼かれたりと散々な役だったが、上手い!そうそう、ダンブルドアへのプレゼント用のお酒を飲まされて危うく死にそうにもなる。シリアスもコメディもこなせる役者として、これからも活躍するだろう。  
  今回はドラコがたくさん出てくるだろうなということは分かっていた。だからどんな演技を見せてくれるのか楽しみでもあった。なんと、素晴らしい成長。いや見た目ではなく(すらりと脚の長い青年になっていたが)演技が。今までの単なる憎まれ役を一生懸命やっている感じではなく、自分の心に弱さがあることがわかっていて、必死でやらねばならないと、無理をしている、本当は育ちのいいぼんぼんという感じ。ヴォルデモートに抜擢されて、うれしくて、張り切っているのが、だんだんその荷の重さに耐えかねて、泣き出してしまう。最後にダンブルドアを殺すチャンスが大ありなのに、それができず・・・ダンブルドアがスネイプに「プリーズ」と言った気持がよくわかる。
しかし、スネイプは損な役回りばかり、よく耐えている。ドラコがあのドアの使い方を練習している場面は原作にはあんなに詳しくはなかったんじゃないかな? 
渋い演技のスネイプ(左)。でも、苦虫をかみつぶしたような顔で、観客を大笑いさせてくれるのがうれしい。今思い出しても笑える。最初から全く変わらない押さえた演技。安心して見ていられる。右のミネルバ・マクゴナガル先生はあと2年、いや、製作時期はあと一年ぐらいか、元気でいてくれよと思う。ずいぶんいい年なんだろうなと女優さんに対して年のことを言うのは失礼と分かっていても思わざるを得ない。ダンブルドア校長の役者さんが第二作がおわって、実際に亡くなってしまったという経緯がある。   
   ←この二人にはびっくりした。下が11歳のときのトム・リドル(ヴォルデモートの本名)。上が16歳のときのトム・リドル役。見ている時は同じ役者さんかと思った。ハリポタシリーズはもう何年も前からやっているから、5年ほど前に小さい頃を先に撮っていたのかと。もしくは声をどちらかが吹きかえて、同一人物がやっているのかとも。それほどまでによく似ている。雰囲気がである。大人を相手にしても物おじしない、むしろ見下したような、それでいて、物静かで礼儀正しい・・
それにしても、トム・リドルの生い立ちや、トムがホグワーツを卒業してからの行動など、すべて省略されているのにはちょっと残念。まあ、到底すべては表現できないのだから、致し方ないが。
しかしあの生い立ちこそがトムの性格形成の根源をなしているとおもえてならない。
 →右端にいるのが今回鍵を握るホラス・スラグホーン役。思い描いていたより背が高かったが、なかなか上手かった。
つまり、「有名人と知り合いである」ことに何より価値を見出すという性質の表現が。
魔法薬学者としては熱心であるところは常に採取瓶や缶を持ち歩いているところでわかる。
有名人であるハリーという餌にのこのこホグワーツに戻ってきて、一番触れられたくないところを白状することになるのだが、かえってスラグホーン先生としてはほっとしたんじゃないかな?
 
  ハリーは親友だし、ジニーは大切な妹。だけどその二人がいちゃつくところは邪魔したくなるというロン。笑わしてくれる。
さて、最終章は一部と二部に分かれて、一部は2010年11月、二部は2011年夏ということである。
これで、少なくともあと2年は元気でいなくちゃねー!! 
 いつもだが、今回も「本を読んでいない人」にとってはほとんど展開が分からない。隣のアベックで来ていたおにいさんの方の立っていく前の捨て台詞「ひとつもおもろないな」だった。また一緒に行った夫の方は「う〜ん・・・間で寝たからな」と、分からなかったのを、途中で寝たせいにしていた。一方直前に和訳の本を読破していた次男は、「あそこも、あそこも、なかった!」と少々憤慨気味。遠い昔に読んだ私は、「そういえばないなー」ぐらい。この映画は、本を読んだか読まないか、いつ読んだか、などで感想は違ってくるだろう。上記の感想は中途半端に原作を覚えている人間のそれである。
  2009.7.14 ゲルマニウムによる治療
  左の図が私がゲルマニウムの粒を貼ってもらった位置である。二時間近くかかっての治療。その間ずーっとおこなわれるアームテストなるもののおかげで、右腕の痛みが2日たった今も消えない。
それはともかく、右に斜めに傾くと弱いという「脊椎変異」があること。
両肩が前にせり出しているために肺や心臓が抑えられて、それが、咳、不整脈、むくみ、飲み込みにくさなどの原因になっているということがわかったこと。 
そういう点は本当にありがたかった。
そのアームテストの大変さのために、二度と治療は受けまいと思うが、勉強はしたいと思う。
・ゲルマニウムとはなんぞや
・どの筋肉を強めればいいか、
(要するに姿勢を正さないと
 内臓がうまく働けないようだから)
そういったことを学んで来たい。
したがって8月1日は終日休みます。
  2009.7.13 「顔のない十字架」を読んで。
  赤川次郎ファンクラブに入ると「事件簿」という会報誌が送られてくる。それに原稿を送るとその送った人たちの中から抽選で本がプレゼントされる。
今回当たったのがこの本だった。赤川作品はシリーズもの以外もたくさん出ているが、十分気をつけないと、「後味の恐ろしい本」を買ってしまうことがある。
この場合は、プレゼントだから、もしそのような物でも、残念さは薄い。
でも、恐る恐る読み始めたのは確か。それでも、知らず知らずのうちに我ながらあきれるスピードで、ページをめくっていた。
弟が人を轢いたことから事件に巻き込まれてゆく佐知子。
その死体が持っていた脅迫文のために、詐欺事件から暴力団の抗争、裏切り、さまざまな出来事に直面することになる。佐知子を取り巻く男性軍がそれぞれの人間性で絡んでくるのがおもしろい。後味の悪いものでなかったことだけは明記しておこう。1982年に発表されたストーリーであるらしいが、ケイタイが一切出てこず、公衆電話に十円玉を入れるシーンが出てくるのことで時代を感じるがそれ以外は古臭さは一切感じない。 
  2009.6.30
   今年のうちわ。キャラクターたちを寄せ集めてみた。なんかかえって暑苦しくなりそうな団扇になってしまった。
  2009.6.25
 おそらく人生で二回目のピアノリサイタルの鑑賞。
実は苦になっていた。なにせ開演が夜の7時半、終わるのが夜の9時。最近は早寝早起きを励行しているので、おそらく熟睡してしまうのではないか、いびきをかかないだろうか、とそんなことばっかり心配していた。
場所は新大阪のSORAビル内のムラマツリサイタルホール。
(これが分かりにくかった)
このリサイタルは『「木曜リサイタル」〜作曲家シリーズ』と銘打たれて、春(?)と秋にあるらしい。この日はロシアのムソルグスキーが採り上げられていた。その他にシューベルト、ブラームス、ザレンブスキ、ベートーヴェン、モーツァルトなどの日があったようだ。
 
 二部に分かれていて、最初は歌曲集『子供部屋』、後半は組曲「展覧会の絵」。
後半はピアノソロの演奏であったが、前半はソプラノ歌手の方との共演。私にはこの前半の子供部屋が面白かった。
ここで、「ニャーニャ」もしくは「ニャーニュシカ」(ばあやの意味)がとてもよく出てくる。子どもたちがばあやにお話をせがんだり、カブトムシが動かなくなったのはなぜと質問したり、散らかしているのを叱られて、ぎゃくにばあやに悪態をついたり。木馬に乗って転んだときだけ母親が登場して上手に慰めされて気を取り直したり、お人形を寝かしつけようとしていたら、自分が眠くなったり、お休みのお祈りに家族親戚の幸せを祈って、自分のことを忘れたりと実にほほえましい。
事前に日本語であらすじを話してくれたから、ロシア語のソプラノも、一睡もせずに見たり聴いたりできた。楽しかった。
ムソルグスキーは42歳で亡くなるまで独身であったが、親友のハルトマンの子供や親戚の子供を見ていて、作曲したという。
そのハルトマンがなくなって遺作の展覧会の様子をあらわしたのが、組曲「展覧会の絵」である。「展覧会の絵」として有名な部分はプロムナードなのである。すたすたと展覧会場に入って行ったり、絵の前から、次の絵に移るときに演奏される。見た絵についての印象を曲にしてあるらしい。やたらフォルテシモ(とても強く弾く)の部分があって、いきなり心臓が飛び上がった「こびと」。吟遊詩人が歌いあげるという曲らしいが、ここでも飛び上がった「古城」。噴水の周りで子供たちが遊んでいるがやがて喧嘩になり、親たちも仲裁に入るという「チュイルリー」。農民たちの苦しい生活が想像される「ビドロ(ポーランド語で「牛」)」。珍しく軽快な「殻をつけたひな鳥の踊り」。ふてぶてしい金持と、貧乏ユダヤ人との対談。だんだん激しくなっていく「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレル」。フランス中部のおばさん達のおしゃべりと笑い声の「リモージュ」。ローマ時代のキリスト教の白骨が積み上げられた地下墓地「カタコンブ」当然衝撃を受けたようだから、また心臓が飛び上がったのは言うまでもない。不気味な低く響く音がゆっくりと続く「死せる言葉による死者への話しかけ」。スラブの伝説に出てくる魔女「バーバ・ヤガー」。現在のウクライナの首都キエフに計画された大門のスケッチ「キエフの大門」。

「展覧会の絵」という曲がこんなに長いものである事を初めて知った。
さらに思ったことはずいぶん重い題材の絵を描いた人なんだな、ハルトマンは、ということ。
すばらしいとか、うまいとか言う前に、なんとクラシックを演奏するには力が要るのだろうと感心した。演奏者は、身体はスリムなのに。上腕の筋肉がすばらしい。
よく料理教室で調理人の手元をスクリーンに映し出している場合があるが、ピアニストの手元もぜひどこかに大映しをしてほしいものだとおもった。
帰ったら夜の10時はゆうに過ぎていた。必要最低限のことをして、布団にもぐりこんだのはもちろんである。
実はそのピアニストの方のお母様と31年まえ同じ病院で長男を出産したのが縁で年賀状だけの付き合いだったのだが、突然リサイタルのお知らせを送ってくれたのだ。残念なことにそのお母さんとはお会いすることができなかった。もっとも横におられてもわからなかったことだろうが。
プレゼントの財布in財布は係りの人にことづけた。
  2009.6.13
       
準備万端整って。  こちらは関所。名刺の事、駐車場のことなど用事多し。  持ってきて下さる方を待つ間ピアノのレッスン。   関所のお役人登場☆
       
 早い目に来てお手伝いくださる方々。  早くから、着物を着て、お手伝いくださる方も。  たくさんたくさん。食べきれないぐらい。ありがとうございました。  デザートを持ってきてくださったメンバー様も。
     
 今回は男性軍3名と、かわいいお客様も。  お忙しい仕事の合間に駆けつけてくださったメンバー様も  向こうにはコーヒーをセルフサービスで。
       
 「みなさんとは全然違う鳥を載せました。ツグミです。」
みんな「わはは」
「 ハッピーエンディングにするためにエンディングノートをつけようと・・・」
みんな「へぇ〜」
 「パソコンに引っ張られていますが、引っ張るようになりたい。クッキーは人参と緑茶と紅茶です。」  「百名山に登りたい。天気のいい日に。水羊羹は栗が少し入っていたり、入っていなかったり・・」
      朝早くから、もしくは夕べから準備をして一品を持ってきてくださった皆様、お疲れ様でございました。
またお手伝いをしてくださいました皆様にもお礼を申します。 
居残ってレッスンをされた皆様、お疲れ様でございました。また来年元気で集えますように。
交換した名刺
 静子様のマジックを見て、「すごいなー」と村長さん。  居残り組み。その1 居残り組み。その2 
  2009.6.8
  生まれて初めての体験。万歩計をポケットに。
これはあるメンバーさんに訊かれたことからである。
「毎日水やりぐらいしか外へ出ず、家の中にいてさほど歩くこともなく、いったいどうやって健康維持、というか、体力や筋肉の維持をされているのか、教えて下さい」と。 
はて、困りました。私の持論は、『最も気をつけないといけないことは「食事と睡眠」。あとは日常の生活を坦々と繰り返しておれば、あえて、無理な運動をする必要はない』なのである。
ただ、「いったい日常生活って何歩ぐらい歩くものなんですか?」と訊かれた場合、「私の場合はだいだい○○歩よ。」と答えられなければシャレにならんなと考え始めたことがきっかけ。朝4時ごろ起床。左の万歩計を見ると、10:23で3422歩。案外歩くものなんだな。ただし、私にとってはその店を開けるまでが一番動き回る。それ以後はさほど歩かないだろうが、夕方まで、そして、寝るまで、はたして何歩歩くことになるのだろうか。
 店じまいのときは6000歩超えていました。一歩が約50cmなので、ざっとの計算で3km程度でしょうか。これで「一日どれぐらい歩いてるんですか」と訊かれても答えることができますぞ。
「だいたい6000歩、まあ、3kmぐらいかな」って。
3kmっていうと、そう、仁徳天皇陵のぐるりを歩くぐらいでしょうか。
やれやれ、もう寝ます・・・
 
今は6月9日の午前6時50分。結局、昨日は風呂に入るために万歩計をポケットから出した時点で6800歩台。我ながら、なんとバタバタと動き回っていることだろうかとあきれた。ふつうは歩数を増やすために万歩計を利用するのだろうが、これからは、歩数を減らすために利用しようと考えた。つまり、無駄な動きを減らすために。
そうしないと、エネルギー不足になってしまう。細く長くが無理な話にならないために。
  2009.5.6
  来月13日の持ち寄りパーティのおしな書ができました。ダイレクトメールとともにお渡しします。

何ともいえぬほんわかとした雰囲気で担当してくださった方々のお人柄が表れているようです。
感謝いたします。

これは当日作者(料理もおしな書も)の感想など話してもらいますので、忘れずにお持ちくださいませ。 
  2009.4.20
   いつも映画は最終の回を見る。だから、午後になっても頭痛が治らずに困った。予約してチケットは買ってあったから。やむ追えず一年ぶりぐらいに鎮痛剤を飲んだ。おかげでなんとか映画館に行くまでに頭痛が消えた。
最終でもちびっこが多いのがアニメの特徴。今回は劇場版13弾ということで、不吉な話題をと狙っていたらしい。
目論見通り、とても危険な状況から始まる。
こんなにも黒づくめの集団がかかわってきた回があっただろうか。
しかしいつも思うことだが、今までの経緯が分かっていないとすぐにはわからないだろうと思う。
ジンにウォッカ、ベルモット、キャンティ、コルン、そしてアイリッシュ・・・
なぜか酒の名前がコードネームの集団。いまだ親玉はわからない。いや実はシェリーというコードネームを持つ灰原哀が知っているはずだが、それを教えることは
 パンドラの箱を開けることになると思っているのだろう。言おうとしない。もっともコナンも訊こうとはしないが。
今回、キーマンの一人である「水谷浩介」の声を故竹下元首相の孫だと称するDAIGO(だいご)が担当している。終わりのエンドロールを見るまで気がつかなかった。というのも、とても、生真面目で繊細な男性の声だったから。バラエティなどで「そうっすね〜・・」などというときのぼそぼそした声しか知らなかったので。「〜ウィッシュ」とか言えばわかったのだろうが。ストーリーとしてそれは無理な話。今までの経緯を知っている次男や私は「まあ、面白かったね」だったが、ゴルフで早起きだった夫は中盤のなぞ解きの部分でかなり寝たらしい。「わからんかった・・」とぼそりとつぶやいていた。
 
  2009.4.18
  春のピアノ珍道中発表会。

一番最初に食事を載せるのもどうかと思うが、JPCのイベントは「食事」も主題なのである。
どんなものをどれぐらい食べたら身体が喜ぶのか。

クッキングパーティのときだけではなく、持ち寄りと忘年会以外の食事はぜひとも参考にしてほしい。

今日はパスタグラタンを付け合わせにしたから、ご飯の量を少し減らしていたのに気づいてくれただろうか。 

夕方にはちゃんと空腹になったことだろう。
   半年間お疲れ様でございました。
みなさまよく頑張られましたよ。

後のことがあるから、写真撮影も一生懸命。

でも、だんだん難しさも分かってきて、緊張する方も多かったように思います。

かくいう私もはでに間違いまして、お耳汚しをいたしました。申し訳ありませんでした。

秋のピアノのテーマは「クラシックは自分の知らない曲」というもの。

つまり、音符通りに弾けば、ちゃんと曲になるんだということを体験していただきたい。

きっと脳みそも発奮することでありましょう。
脳トレには「違うことをする」ことが大事なのである。
   ピアノ以外の参加者

・晴代様の「ピアノ発表会に寄せて」と銘打った短歌は毎回感心する

今回はプライベートな心情もうたわれた。
「かの曲に 繋がる人の 今何処
     ふと思わるる 春雷の朝」

かの曲とは「エリーゼのために」らしい。
実らぬ恋の切なさを感じまするのぉ

・敦子様の詩吟「福沢諭吉の花を惜しむ」

詩吟の会以外の人達の前で吟じるのは初めて、と終わるまでは食事ものどを通らなかった模様。
よく通るうつくしい声で、場がいっぺんに華やいだ感じがした。
大音響でかけたCDの音をバックグラウンドにそれをものともせず朗々と吟じあげられた。
  みんなが楽しみにしている静子様のマジック。
今年はご子息の急病という出来事があったために、今回は無理か、と思っていたが、もうすぐご子息も退院できそうということで、マジックをご披露くださった。

大きい直径のフラフープを見事に扱われて、いろいろな造形を見せてくださった。
お召しものも素敵。

襟元のスパンコールはご自分でつけられたとのこと。
根気のいる仕事だっただろう。

ゴールドがとてもよく似合っておられた。 
  2009.3.12
  来月(4月)18日のピアノ珍道中発表会のプログラムがようやく完成した。まだまだ日程はあるのだから、もっとゆっくりでもいいようなものだが、最終の一ケ月でラストスパートをかけていただきたいという意味合いがあるのだ。
所詮素人集団とは言え、やるからには一生懸命やってほしいしやりたいものである。
とにかく担当のお三人さんはお疲れ様でございました。こういった物を作成するときでないと使わないパソコンの機能もあれば、 どういう点に気をつけて作るべきか、いろいろ経験されたことと思う。
担当が変わると同じプログラムでも雰囲気がころっと変わってとても興味深い。
ビデオ撮りが終わって、会費がまだの方はその会費を納めていただいて、初めて、プログラムをお渡しすることにする。
お楽しみに。
ではではラスト一ケ月精進しましょう!GOGO☆
 
 2009.2.27
昨日ある出来事があって、私の心に大きな変革が起きた。
あまり夢中になったり、心配したりする必要がないんだとわかった。
25日大阪城ホールへ行ったことで、JEROのことを心配する、気に掛けるファンが大変多いこと。
むしろ私の出る幕はないなと気付かされた。導かれたといってもいいだろう。
それはお守りとして持っていったプレゼントを渡す機会がなかったことでもわかる。
それよりも、私しか心配する者がいない人に関する出来事がこれから起きるのだろうかと思う。
今年何が起こるのかわからないが、何が起こっても、無事に立っていたい。
JEROのことは他のファンに任せようと思う。
  2009.2.25
  「全国縦断にっぽん演歌の夢祭り」に行ってきた。
大阪城ホールって2度目か3度目かと思うがこんなところだったかな?って思う。
えらいたくさんの人。
どこから湧いて出てきたのかという感じ。
自分もその一人なのだが。 
アリーナ席って、要するに一階の席ということなんだな。だから下から見上げる感じ。
出演者は、JERO以外は、
北島三郎、千昌夫、前川清とクールファイブ、中村美津子、瀬川瑛子、島津亜矢、民謡界の原田直之と金沢明子。
ゲストは宮川大助・花子
司会は露木茂。
演奏はザ・ニューブリード。
チャリティの意図もあるコンサート。
8回を迎えるらしい。

入口に入る前にグッズ販売コーナーがあったから、なにかJERO班の売り上げに協力しようと買い物をした。(下に載せた)
いやー・・広い、席がいっぱいあって「全部埋まるのか?」と心配した。
歌手の方だけじゃなくて、客席の方にも定期的にスポットライトが何度もぐるーっと回ってくるのには閉口した。眩しい!
JEROは、「えいさ」と「氷雨」それと中村美津子さんとデュエットで「別れても好きな人」、あと、「海雪」そそ、最後に北島三郎さんと一緒に「まつり」。それぞれの歌手の方が3〜4曲歌ったから、2時間半〜3時間。演歌歌手の方はだいたい声量があって、いいのだが、ちょっと、何とかして、というぐらい耳にガンガン来る声の人がいた。もうちょっとマイクを離してくれー・・と耳を塞ぎたかった。「へぇ〜」と見直して、この人のファンにもなりそうやなと思ったのが中村美津子さん。彼女の「瞼の母」なんて、5分ほどの芝居を見ているようだった。アリーナ席はそれぞれのファンクラブで占められているのか、お目当ての人が出てきたら、何人かはそれぞれに大きな声で名前を呼ぶ。若い声が多かったのはやっぱりJEROかな。やっぱり中村美津子のファンも多かったね。わかるわ。 
隣の席の人は東京から着物で駆け付けたJEROのファンクラブ会員さん。JEROの話をしているととても初対面とは思えない。
 
さすが年配のお客さんが多いのか、民謡コーナーになるとトイレに立つ人が多いし、最後なんて、舞台にまだみんないるのにわーっと立って来るから、舞台にいた人たちも、それでは引っ込もうかという感じ。
だから、うっとうしいアンコールタイムはなし。助かった。しかし、しんどい。 
  2009.2.21 
  本日は早く帰る人が多いということで、みなさま総動員で、作って頂きました。
おかげで早くできました。
お昼の12時前には みんなデザートまで食べ終えて、パッチワークのスタンバイOK。

油なしのチンジャオも、油なしの南蛮漬け風も、シロップケーキもおいしくて、すっかりおなかに収まりました。

担当してくださった皆様ありがとうございました。
後片付けもみんなでしてくださって、助かりました。
   初めてのパッチワーク。
ベテランの人も、本当に初めてで、不安と期待の入り混じった人も、一生懸命。
とにもかくにもモチーフを一つ作って、お開きに。
本当は、もっとゆっくりしてくださったらよかったのですが、店を開く都合があり、ご迷惑をかけました。
ボランティアで教えて頂いた英子先生、教え役をしてくださったベテランの礼子様、本当にありがとうございました。

さて、メンバーの皆様は、おうちでなかなかできないという方はJPCにお持ちになり、ぜひとも完成いたしましょうぞ。
 
 2009.1.24
  ずーっと考えていた料理。油を使わずに「天ぷらのようなものを作れないものか。
材料はある物を使うしかない。
下味は だし汁に塩、香辛料、SONOKOつゆ、そういったもので味付け(これだけでは薄味)したところに、まず、インゲンとエリンギ(適当な大きさに切る)を5分。それを引き揚げて、ごぼう(薄切り)を10分、それを引き揚げて、
次にダイエノキ(シメジではなかった)を5分煮る。
最後にだし汁を少し捨てて、鶏肉が浸るぐらいにして、二口大ぐらいに切った鶏肉に塩、香辛料で味付けして、片栗粉をまぶし、上記のだし汁で5分にて、あと準備が出きるまでそのままふたをして置いておく。
ここで、卵3個を白身と黄身に分け、まず白身を泡立てる。途中で、塩、香辛料で少し味をつける。
白身が泡立てば、黄身を入れて引き続き泡立てる。
そこに、小麦粉半カップを振いながら入れて、ころも風のものができる。
オーブン皿に衣を引いて、煮あがった具材を並べ、その上にも衣をかぶせる。いかんせん、卵3個では少なかった。180度で10分はそれでいいと思う。
三分の一ほどフライパンで焼いてみたが、それは今一であった。どうしてもひっくり返したくなる。そうすると、ますます卵とじになってしまう。

今回のできはまあまあ。
次回作成時の注意点。
黄身は入れないでおこう。(黄身を何に使おうか。お澄ましか?)卵の量は倍ぐらい必要。
具材に工夫。サツマイモやレンコンがあってもいいだろう。
衣に味をつけないで、つけ汁で食べるようにしてもいいかもしれない。
あと最低3回は作るだろう。
 
 2009.1.21
 
カバーデザイン:斎藤昭
三姉妹不思議な旅日記:赤川次郎著

何ということだろう、気付かずに2冊買ってしまった。左の大きいのはいわゆる新刊というか、初めて出版されてすぐの形のもの。2005年に出されている。一ページ2段組みになったもの。右のは単行本というものであろう。2008年に出されている。3年の差があるなら結末を忘れていても許されるか・・・
 

相も変わらず父親が出張になると事件に巻き込まれる三姉妹。
あろうことか今回は時空を飛び越えて、戦時中のナチスドイツに迷い込む。1943年ごろ、あと2年で終戦という時代。
当時はミュンヘン大学生を中心に白バラという組織を結成して、反ナチ運動がひそかに繰り広げられていた。

この本の中で赤川次郎氏が言いたいことはよくわかる。あちこちにそのフレーズがちりばめられている。
たとえば「あの小間使マリアにしても、ソフィアにしても、『今の世の中は間違っている』と思っている。他にも同じ思いの人間はいるだろうが、社会の大きな流れが一回できてしまうと、そのなかで抵抗するのは容易ではないのだ。」といったような文章が。
もちろんこれは過去の出来事だけの話ではない。
現代そのようなことがあちこちで起こっていることに赤川氏は警鐘を鳴らしているのだ。
あの阪神大震災と前後して起こったサリン事件の例を示すまでもなく、「本当に自分の頭で考えているのか?」と疑いたくなるような集団をあちこちで目にし、耳にする。
またドイツを中心としてだろうと思うが、若者の間で、「ヒトラーを見直そう」と「ネオナチ」という運動がおこっているという。
日本にもその分子がいると赤川氏は示唆している。

私の主催するJPCという場は脳みそトレーニングをする場所。
そして、脳トレの結果、それぞれが、自分の頭で考えて、行動してくれるように、
さらに、生涯ボケることから自分を守るようにということを願って初めたこと。
赤川氏のように書物を通じて訴えることはできないが、
同じようなことを大阪の片隅で訴えていきたいとこの本を読んで思ったものだ。
 
 2009.1.12
2月のクッキングパーティのレシピがやっとできた。担当の方々は早くから準備してくれていたのだが、
肝心のレシピがなかなか確定しなくて、ご迷惑をかけた。
○チンジャオロース、○南蛮漬け、○オレンジシロップケーキ
すべて油を使わないで作る。(これはJPCクッキングパーティの原則である。)
2009.1.4
つじおか薬店として2年目。酒の販売許可店としても2年目。どうなりますか。
丑の干支の根付けが皆様の心と身体の健康をお守りくださいますように。数に限りあり。お早くどうぞ。

ジェロのデビューの2年目でもある。またジェロジェロとうるさく言うこともあるかと思いますが、どうかご容赦お願い申し上げます。
ファンクラブ「サークル・ジェイ」から年賀状が届いた。
長いコメントで漢字で書けるところはすべて漢字で。感心しました。

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